4話 ロボット化する社会
平成に入り、世の中は急速に便利になった。
冷凍食品は種類を増やし、電子レンジはどの家庭にも置かれ、
「温めるだけで食べられる」食事が当たり前になった。
大量生産、大量流通。
時間の節約、コストの削減。
それらは企業にとっても、働く人にとっても“合理的”だった。
だが、村上はある日、社員の昼食を見て思わず目をそらした。
カップラーメン。
コンビニの菓子パン。
栄養ドリンク。
机の上に並ぶそれらは、食事というより“燃料”に近かった。
「これで午後も働くんか」
そう言いかけて、村上は言葉を飲み込んだ。
彼らは時間を惜しんでいるのだ。
費用を節約し、効率を上げようとしているのだ。
弁当を持ってくる者はまだましだった。
近所の弁当屋で買ってくる者も、まだ“食事”の形を保っていた。
だが、社会全体の流れは別の方向へ進んでいた。
気候変動で野菜の価格は乱高下し、
畑で採れた野菜は“ぜいたく品”になりつつあった。
代わりに広がったのは、植物工場で管理された均一な野菜。
光も水も栄養も、すべて計算され、
土の匂いのしない“製品”としての野菜だった。
食事は、だんだんと“餌”に近づいていく。
栄養素を効率よく摂取するためのサプリメントが増え、
「食べる」という行為そのものが、
生きるための儀式ではなく、
生かされるための作業になっていく。
ロボット化は、食の世界だけではなかった。
コンビニは無人レジを導入し、
倉庫は自動搬送ロボットが走り回り、
飲食店は配膳ロボットが料理を運ぶ。
人間が担っていた仕事は、
次々と機械に置き換えられていった。
「人が働かなくてもいい社会が来る」
そんな声も聞こえてきた。
ベーシックインカムという言葉が、
ニュースや雑誌に踊るようになった。
だが村上は思う。
――働かなくていい社会とは、
本当に“自由”なのだろうか。
――便利さの果てに、
人は“生きる”から“生かされる”へと変わってしまうのではないか。
夜食のかつ丼を囲んで笑っていたあの頃。
食事は、仲間と時間を共有するためのものだった。
今はただ、栄養を補給するための行為になりつつある。
村上は静かに息をついた。
――便利さは、人を豊かにするのか。
それとも、人を空っぽにするのか。
その答えは、まだ誰にもわからなかった。