任天堂「ゲーム&ウオッチ」開発の背景
- 1980年4月に任天堂初の携帯型液晶ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」が発売されました。これは初の携帯ゲーム機で、ゲームソフトが本体内のROMに書き込まれた「1ハード1ソフト」方式でした。
- 当時はファミコンなどのカートリッジ式ゲーム機はまだなく、携帯可能な単一ゲーム機を作ることに挑戦した結果です。
- ゲームをしない時間帯には時計として使える機能を付け、「ゲーム&ウオッチ(ゲームと時計)」という商品名の由来となりました。
- 初代『ボール』のヒットを皮切りに、約1ヶ月に1タイトルのペースで新作を発売。大ヒットにより、70億円近い任天堂の借金を返済し、ファミリーコンピュータの開発資金に充てられました。
ゲーム&ウオッチが誕生した背景には、任天堂の開発者・横井軍平の独創的な発想と、1970年代末の社会的・技術的状況が深く関係しています。以下にその「原因」とも言える要素をまとめてみました👇
🧠 発想の原点:新幹線の中の“暇つぶし”
- 横井軍平はある日、新幹線の車内で電卓をいじって遊んでいるサラリーマンを見かけました。
- その姿から「小型で、暇つぶしができる電子機器」のアイデアを着想。
- これが後に「ゲーム&ウオッチ」のコンセプトへとつながります。
🛠 技術的なきっかけ:電卓技術の応用
- 当時の任天堂は液晶やLSI技術を持っておらず、シャープとの協業で開発がスタート。
- 電卓用のLSIチップを流用し、限られたセグメント数でキャラクターや動きを表現する工夫が凝らされました。
- これは横井の哲学「枯れた技術の水平思考」の実践でもあります。
- ⏰ 時計機能の追加:大人にも売れる工夫
- ゲームだけでなく「時計」としても使えるようにすることで、実用性を持たせて大人層にも訴求。
- 実は当初は「マイクロゲーム」という名前で複数ゲームを搭載する予定だったが、試作段階で面白みに欠けたため、時計機能に差し替えられたという経緯もあります。
- 🚄 社会的背景:持ち運べる娯楽のニーズ
- 1970年代末、日本ではテレビゲームは据え置き型が主流で、外出先で遊べるゲームが存在しなかった。
- 通勤・通学中に「さりげなく遊べる」娯楽として、胸ポケットに収まるサイズで設計されたのがゲーム&ウオッチ。
- つまり、「暇つぶしのための小型ゲーム機」という発想が、電卓技術の応用と社会的ニーズに見事に合致し、任天堂とシャープの協力によって実現されたのがゲーム&ウオッチの誕生です。1980年に発売された初代『ボール』は、まさにその哲学と工夫の結晶でした。