短編小説

短編小説「あんこ」の声 仕事の「意味」

金太郎は、坂戸の小さな饅頭屋の息子だった。

朝早くから、父は「あんこ」を練り、母は「皮」をこねる。蒸し器の湯気が店先に立ちのぼる頃、常連客が「今日も美味しいね」と笑顔で饅頭を頬張る。金太郎はその声を聞くたび、胸の奥が温かくなるのを感じていた。

だがある日、業者が現れた。「あんこ作りは大変でしょう。当方から仕入れては?」

次に「皮」専門の会社が来て、「販売も当方で代行できます」と言った。

両親は高齢になり、店の切り盛りも厳しくなっていた。収入も不安定。金太郎は悩んだ末、安定を求めて「あんこ」メーカーに転職した。

営業部門に配属された金太郎は、自社の「あんこ」を売ることに情熱を注いだ。

「美味しい饅頭は、美味しいあんこから」——それは彼の信念だった。

自分の口で味を確かめ、納得したものだけを勧めた。

しかし、業績が伸びるにつれ、現場は変わっていった。

「あんこ」はトン単位で出荷され、味ではなくpH値や糖度で管理されるようになった。

金太郎はもう、自分の口で確かめることができなくなった。

顧客の顔も見えず、「美味しい」の声も届かない。

ある夜、金太郎はふと、昔の蒸し器の音を思い出した。

湯気の向こうに浮かぶ、母の笑顔。父の背中。

そして、饅頭を頬張る客の「うまい!」という声。

その声は、数値では測れない。

その声こそが、金太郎にとっての「あんこ」の意味だった。

金太郎は机の上の営業資料を見つめながら、自問する。

「俺は、あんこを売っているのか。あんこの声を、届けているのか。」

答えはまだ出ない。

けれど、あの声を忘れない限り、金太郎はきっと、誠実でいられる。

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原点:饅頭屋の息子としての「全体性」

  • 金太郎は「皮」も「あんこ」も自分たちで作ることで、饅頭という一つの作品を丸ごと担っていた。
  • 顧客の「美味しい」の声が直接届き、それが労働の喜びとなっていた。
  • ここには「分業されていない仕事」の魅力がある:創造性、責任感、誇り、そして人とのつながり。

分業の波:効率と安定の代償

  • 「あんこ」や「皮」の専門業者が現れ、分業化が進む。
  • 経済的には合理的で、金太郎も安定した収入を得るために「あんこ」メーカーへ転職。
  • 営業部門での仕事は、かつての経験を活かしつつも、量と数値管理が中心になっていく。
  • 「美味しい」の実感が、顧客の顔からpH値やton数に変わってしまった。

金太郎の葛藤:分業と人間性の間で

  • 金太郎は「饅頭屋の息子」としての自分と、「あんこ営業マン」としての自分を比べている。
  • 分業によって得た安定は、かつての「手で感じる仕事の悦び」を奪った。
  • 自分の口で確かめられない「あんこ」を売ることに、誠実さを保てるのかという問い。
  • 「売っても売っても満足が得られない」——これは、仕事が「意味」から「手段」に変わったことの象徴。

分業社会における人間の再定位
この物語は、現代の働き方に対する問いかけでもあります。

  • 分業は社会の効率を高めるが、個人の実感や誇りを奪うこともある。
  • 人間は「作業者」ではなく「意味を求める存在」である。
  • 金太郎のように、自分の仕事に誠実でありたいという思いは、分業社会でも失ってはならない価値。

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