『秤の目盛り』
身の丈とは、数字でもお金でも名声でも測れない。
それは、自分の秤でしか見えない目盛り。
そして、その秤は、時に他人よりも自分が一番見えにくい。
だからこそ、立ち止まり、針の揺れを感じる時間が必要なのだ。
川越の路地裏に、小さな焙煎珈琲店「秤屋」があった。店主の名は村上慎一。豆の選定から焙煎、抽出まで一人でこなす、頑固な職人だった。
慎一には信条があった。
母の口癖でもあったその言葉を、彼は店名にまで刻んだ。
だが、時代は変わる。SNSで「秤屋の珈琲」が話題になり、メディアから取材依頼が舞い込む。大手百貨店から出店の誘いも来た。
「数字を見てください。月商100万はすぐに超えますよ」
「この味なら、都内で名声を得られます」
「資金はうちが出します。リスクはありません」
慎一は迷った。数字は魅力的だった。お金も、名声も、悪くない。だが、ふと焙煎機の前に立ったとき、手が震えた。
「この豆は、誰のために焼いてるんだ?」
その夜、彼は母の遺品である古い秤を取り出した。目盛りはすり減り、針は少し傾いていた。
「身の丈って、何で測るんだろうな…」
数字か。お金か。名声か。
翌朝、慎一は百貨店の担当者に電話を入れた。
「すみません。うちは、目盛りが見える範囲でしか焙煎できません」
電話を切った後、彼は店の扉に小さな紙を貼った。
そして、いつものように豆を選び、火を入れた。誰にも迷惑をかけず、自分の秤で測れる量だけを。